<南風>一日一生


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 立秋も過ぎ、暦の上ではすっかり秋である。暑さ寒さも彼岸までというが、日の光は強く肌を刺す。

 四季がある地では、盛夏に青い稲穂は、10日もすれば黄金色に輝き大きく揺蕩(たゆた)う。冷たい風にあまたの枯れ葉は舞い落ち、赤くなった柿の実が細い枝を彩る。茜に染まった遠くの空は、透き通った山の連なりを覆い、そして暮れて行く。

 9月になると、季節の移ろいを恋しく思う。

 医師になり、多くの患者さんの最期を看取った。

 懸命に働きやっとのことで店を持ち、人生これからという時に、突然の病になり亡くなった人。僅(わず)か17歳の若さで発病し、治療の甲斐なく逝った人。

 人生は不条理で、人間は不平等である。神が我々に与えた平等は、死のみである。それゆえ、一日一生の思いで、今のこの時を生き切る。

 然(さ)りとて、つひに行く道は見えない。明日をも知れぬ我成すことは、愛する父の名を残すことである。

 父は、先の大戦で家族を失った。13歳だった。敗色濃くなり、祖父は、祖母と子供達を手に掛け自らも命を絶った。

 集団自決である。

 末っ子の父に加減したのか、前頸部(けいぶ)の鎌痕は急所を外していた。戦後は、激動期を生き抜き26歳で創業した。家族をとても大切にし、有り丈の愛情を注いでくれた。そして、立派な経営者であった。

 この拙文を私の患者さんが読んでいるのならば、改めてお詫びする。医師を辞めて、すみませんでした。我が心情を察し、ご理解を願いたい。

 道は違えど、人に尽くすことに変わりなく、善き企業へと育て、次なる者へと引き継ぐことは、私の天命である。

 つひに行く

 道とはかねて聞きしかど

 昨日今日とは

 思はざりしを業平

(東恩納厚、東恩納組代表取締役会長)