<南風>娘からの感謝


社会
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 私の娘は中学入学と同時に、ティーダバルとは別に部活動も始めました。野球は続けたいが、部活動の仲間に迷惑をかけてしまうのは嫌だ。それでもみんなが受け入れてくれるのであれば入部を許可してほしいと、直談判。顧問の先生と部活動の仲間も理解を示してくれ、入部できました。

 週末は午前中は部活動。午後から硬式野球の練習と頑張っていました。当時、練習参加者は増えず、3人での練習が1年近く続きました。娘を含めた学生3人が途切れることなく練習を続けてきたから今のティーダバルがあると思います。

 そんな娘も高校生の頃から私に不満をぶつけるようになりました。高校では野球部のマネージャーをしていました。週末は練習試合が多く、フルで部活動に参加したいのに、ティーダバルの練習に参加者が少ない時には、朝5時半に部活に行き、マネージャーの仕事を終え、9時に帰宅。無理やり練習に連れていったこともあります。クラス会と練習試合の日が重なって、女子高生の楽しみを奪ったことも多々ありました。

 そんな娘が大学受験用に書いた自己PR文を先生から見せてもらいました。

 「立ち上げから数年は、参加者が少ないために、休みたいのに無理やりティーダバルの練習に連れていく母が、大嫌いだった。ティーダバルで野球をするのは好きだけど、みんなみたいに自分も予定がある時には休みたかった」と。

 少し切なくなりましたが、「でも母は私以上にこの7年間、休むことなく、みんなの練習を支えてくれた。今までも感謝の気持ちはあったが、高校3年になり、母のやってきたこと、やってることのありがたさに、改めて気付かされた。今まで以上に野球が好きになり、野球から抜けられない体になっている。母に感謝です」

 娘の気持ちを嬉(うれ)しく思いました。

(新垣かおり、女子硬式野球沖縄ティーダバル マネージャー)