<南風>読書の秋に


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 四季の中で、一番好きな季節が到来した。南国の沖縄においても、この季節は、涼やかで過ごしやすいものだ。いにしえの人は「美の極みは、花鳥風月にあり」と言ったが、日々の風雅さが、ひときわ心に染み入るのもまた、この季節ならではのことだ。春夏秋冬を通じ、実りの多い時期でもあり、心なしか、気力までもが充実して来るような、心地良さがある。それ故に、秋の過ごし方と言えば、読書の秋であり、思索の秋、散歩の秋である。私の場合、寝ても覚めても本の虫よろしく、一目散に古本の森へと分け入り、ひたすら古典・良書を探し求め、渉猟三昧(ざんまい)の日々を過ごすのが、恒例である。活字を追うのも、その時々の読み物に応じて、耽読(たんどく)、精読、味読、通読、素読といろいろだ。

 「人生の至福は、読書にあり」と言ったのは永井荷風だが、古本の森の散策中に、兼ねてから探しあぐねていた意中の書物に遭遇することもあり、その時の喜びといったら、言葉にならない。枕頭(ちんとう)の書はどれも、そのような稀覯(きこう)本や絶版本ばかりだが、仮に、収穫が全くなかったとしても、くたびれ儲けということにはならない。古本の森の静寂さや、凛(りん)とした古書のたたずまいを眺めているだけでも、気分は安らぐものだ。出来うれば、読書尚友とあるように、古人を範とし、その深遠なる思想体験が記された古典を、心読するように日々努めているが、その域には至っていない。古人の気概や情熱に触れ、心身感化を受けるとともに、自身の人間性の向上や精神的成長に直結するような読書スタイルが、心読そのものだと心得ているが、まだまだ道半ばである。これからも古人に私淑し、心に明かりを灯すような読書を、心掛けねばならない。

 まだ足りぬ踊りおどりてあの世まで。(六代目尾上菊五郎・辞世の句)
(山城勝、県経営者協会常務理事)