潮騒が聞こえる。
眠れぬ身を夜具に包み、耳を澄ます。大きくそして小さく、波が泣いている。波音は、過去へと私を誘う。
海を愛した男がいた。
元さんと云(い)う。
父親がいない彼は、私の父を心の奥底から慕っていた。
今日は、彼の命日である。
毎年、仲間と偲ぶ会を行う。ささやかな集いであるが、彼の魂を強く感じるひとときである。彼の好きだった菊の露ブラウンを飲む。
彼の仕事は鉄筋工事である。今でこそ、この仕事の重さを知るが、当時は些(いささ)かも関心がなかった。ただ、彼と海へ行くことが楽しかった。友人が多く、決まって夜は宴会になった。漁師や公務員など様々な人が集った。
医師を辞めた今の私を彼が見たら、何て言うだろう。何も言わずに、微笑(ほほえ)んでくれるだろうか。
医師を辞めることに、躊躇(ためら)いが無かったと言えば嘘になる。心の天秤が経営に傾き、偏(ひとえ)に両立が出来なかっただけである。医師が兼業するなど、土台無理な話である。医学の勉強が疎(おろそ)かになった者に、医師の資格がある筈(はず)も無い。医師の仕事とは、斯(か)くも厳格である。どちらかの選択を迫られた時、医師の仕事を諦めたと云うのが、正直な心境である。父を愛するが故に今が在り、経営に魅了された私が居る、それだけである。
優れた品質の建築物を創るには、元さんのような技術力の高い業者と、手を携えねばならない。また、彼らを導く多くの優れた現場代理人を擁することが企業価値に繋(つな)がる。
私は、より善き明日に向けて、今日も現場を廻り、技術者を育て、協力業者と語らう。
やってみせ
言って聞かせて
させてみせ
褒めてやらねば
人は動かじ
五十六
(東恩納厚、東恩納組代表取締役会長)