<南風>「べき思考」より「たい思考」


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 安室ちゃんが引退宣言をし、「アムロス現象」が飛び交っている。先日の25周年ライブに行ってきた直後の引退宣言であったため、少なからず私の中でも「アムロス」が起きている。

 そんな中ある記事を目にした。「かっこいい安室奈美恵として求められるままにしてきた。自分のやりたいことは二の次。だんだん息が詰まりそうだった」と雑誌で語っていた。「安室奈美恵はこうあるべき」という「べき思考」にとらわれていたことを知った。

 私も昔は「言語聴覚士とはこうあるべき」という思い込みが強く、仕事に対して窮屈な思いをしながら臨床をしていた時期があった。だが、その思考を断捨離することで、私の臨床や働き方は大きく変わった。それに伴い、患者さんが変わった。「べき思考」に捉われたが故に本質を見抜けていなかった。容易ではなかったが、「べき思考」を断捨離できた要因の一つは、他の領域の人たちとの情報交換を頻繁にしたことだと思う。同業者からは聞けない新鮮な視点、斬新な発想、違う視点で物事を見ることで本当にやりたかったこと、本当にやるべきことができるようになった。

 8年前に臨床の現場から教育の現場に転職する時に、「言語聴覚士とはこうあるべき!」という先入観を持たせないということを意識し学生と関わると決めた。「べき思考」は創造性、柔軟性を殺してしまう。

 これからの時期、就職試験や入学試験などで面接が増えてくる。会社や学校が求めるアドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)や求められる人材に自分を合わせることも必要かもしれないが、合わせることが「~でなければならない」を作りかねない。「私は~がしたい」「~ができる」という提案をしていくことは、その領域の発展や、自分自身の成長、自己実現には大事なことかもしれない。
(平良和 沖縄リハビリテーション福祉学院教員、言語聴覚士)