<南風>目の前の景色を未来に


社会
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 両親の影響からか子供のころから出かけることが好きだ。父親の運転する車に乗って後部座席から眺める初めての景色はキラキラして心を躍らせた。運転中の父に赤いコップを差し出す母、後ろでは私と弟がカセットから流れる歌謡曲を口ずさむ。目的地へ向かう何気ない情景が今もはっきりと記憶に残っている。夏は海、山、川、冬はスキーに温泉などなど遊びを通して自然の魅力を楽しむ術を身につけさせてくれた。

 学生時代には日本中をフィールドにテントを背負って旅をした。長い休みになるたびにまだ見ぬ大自然の懐にお邪魔する。重い荷物を背負い苦労してたどり着いた先の絶景や、ひっそりと佇(たたず)む自然には圧倒的な存在感がありつつも、やさしく我々を出迎えてくれた。畏敬の念をもって訪ねれば、そこではちっぽけな人間がどう逆立ちしても作り出せない天然の美しさを垣間見せてくれる。

 残雪からしたたる大河につながる一滴の清らかさ、ご来光を受けオレンジ色に染まる雲海の神々しさ、何百年ももの言わず山を支え続ける巨木の気高さ、藍色の空をバックに雪煙を巻きあげる冬山の凛々(りり)しさ。

 沖縄に移住した今も景色は変われど自然は様々な表情を見せてくれる。固有種を育む緑深き亜熱帯の植生と熱帯魚が泳ぐ透き通った青い海が同時に体感できる場所は沖縄独特のものだ。森ではヤンバルクイナが地面をついばみ、ノグチゲラのドラミングが聞こえる。海では極彩色の魚が幾重にも重なりモリモリと育ったサンゴと戯れる。

 時は流れ、運転席には私が座り、後部座席には子供がふざけあっている。今目の前にあるこの美しき沖縄の自然を原体験にして、子供たち、またその先の世代にもその大切さを受け継いでいってほしい。目の前の景色が当たり前のまま、未来永劫(えいごう)続くように。
(山口将紀、浦添市てだこホール 総務企画課チーフ)