<南風>トイレに行けないこと


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 先日23日にはピンクドット沖縄が、24日には琉球大学法科大学院の司法試験合格祝賀会が行われた。後者は当法科大学院で最も嬉(うれ)しい行事の一つであるが、私のとってこの二つの行事には深い関係がある。

 子どもの時も、学生時代も「性の多様性」は身近な問題だった。しかしそこに潜む不公平や差別について深く考えたことはなかった。それを真剣に考えるようになったのは、自分が教員になり、学生達の現状を目の当たりにしたからだった。

 トランスジェンダーの学生達が、大学では基本的にトイレに行かないと知った時のショックは今も忘れられない。身体の性のトイレに入っても、心の性のトイレに入っても、変な目で見られたり、間違っていると注意されたりするからだ。トイレがあってもトイレに行けないのはどれほど不便なことだろう。外出する時は「誰でもトイレ」や「多目的トイレ」の場所を必ず調べてから行くという。

 例えば法科大学院修了生の場合、司法試験合格は結婚を考える一つの契機になる。誰かと交際しなくてはいけないわけではないし、もちろん、結婚はしてもしなくてもかまわない。しかし、「結婚しない」のと、「結婚できない」のは全く違うのだ。戸籍上の性別が同じカップルの場合、今の日本では、2人の将来に結婚という一つの節目が見えない。これは当人達の問題ではなく、社会が、法がそれをさせないのだ。

 どの学生も一生懸命勉強している。そしてどの人もみな大切な学生だ。それなのに、なぜ一部の人にだけある苦労があり、一部の人にだけ認められない権利があるのだろうか。教員として、こんなことには耐えられない。皆さまも、例えばもし、自分の家族にこのようなことが起こったら、同じように思われるのではないだろうか。

(矢野恵美、琉球大学法科大学院教授)