<南風>島に吹く風


社会
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 先日、少し遅い夏休みをもらって家族で旅行してきた。いくつかの島で風に吹かれた体験が、思っていた以上に体に残っている。いつもと違う体験を心が求めていたのかとも思う。

 旅行の一つの目的は、私が高校生のとき出会ったハンセン病回復者、梅本照夫さんの遺言を叶(かな)えるためだった。照夫さんは20年前、園内の納骨堂の前で私に「もう少ししたら日本から一つの群がいなくなる。結婚して家族ができたら、ここに連れて来て、ここで生きてきた人がいたことを伝えてほしい」と託した。

 連れ合いと娘と3人で照夫さんの奥さん、やえ子さんの部屋でおしゃべりして、一緒に昼食をとり、納骨堂にお参りした。岡山にある二つの療養所も、今は橋があり車で行けるが、島だ。

 園に行く前日は、セトゲイと呼ばれる芸術祭が開催される島の一つに行ったが、平日にもかかわらず、国内外から来た人で島は溢(あふ)れていた。島内に美術館や屋外展示がいくつもあり、地中につくられた美術館では、安藤忠雄やモネの作品が展示されていた。そこで感じたことの一つは、作品と見る者の間の関係性。明確な境界線は必ずしも存在しないと改めて体感した。

 わざわざと言ってしまいそうな島に渡る行為もまた体験の一つで、島に流れる風や時間を感じることも醍醐味(だいごみ)の一つなのだろう。

 その日は船で5分の瀬戸内海の島に泊まった。夜、宿から対岸の町の明かりを眺めていると、回復者の人から聞いた話を思い出した。夜になると、家を思い出して泣く子がいたこと。国頭の家の明かりや車のライトを見て、悲しかったこと。ともすると意識から落ちてしまいそうだが、屋我地もまた離島だった。

 愛楽園に吹く風、屋我地に吹く風、この島に吹く風。立ち止まって時には風を感じる、そんな時間もあっていい。
(辻央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)