<南風>当事者なのに


社会
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 先週は日弁連の人権擁護大会シンポジウム「あらためて問う『犯罪被害者の権利』とは~誰もが等しく充実した支援を受けられる社会へ~」に登壇させて頂いた。翌日には、「犯罪被害者の誰もが等しく充実した支援を受けられる社会の実現を目指す決議」がなされた。

 「犯罪の当事者は誰か」と問われれば、「被害者と加害者」と答えると思う。しかし、刑事裁判において被害者は当事者ではない。刑事裁判は加害者が国家によって裁かれる場であり、被害者は証拠・証人にすぎないと考えられてきた。自分自身に対する犯罪や、自分の家族が殺されてしまったという事件ですらも、被害者や被害者遺族は、加害者に対する裁判が行われたことを報道で初めて知るということも、「よくあること」であった。少しずつ被害者の権利が認められるようになり、現在では一定の犯罪については「被害者参加」ができるようになったが、この制度が始まったのはわずか10年前であり、課題も多く残っている。

 被害者・被害者遺族に唯一与えられている権利は、加害者に対して損害賠償請求の裁判を起こすことである。ところが、裁判で多額の損害賠償が認められても、加害者に資力がなければ、判決は無意味になってしまう。現在でも約6割の被害者が全く支払いを受けていないと言う。1981年から「犯罪被害者給付金」という制度ができ、加害者に資力がない場合に申請をすれば、一定の給付は受けられるようになり、給付額もあがってきた。しかし、これは加害者からの支払いとは両立できず、加害者から月にわずか数千円の支払いを受けただけで給付してもらえなかった例もある。

 誰もが被害者になる可能性がある。被害者の権利が十分に確立していない現状を、私達は自分事として考えておく必要がある。
(矢野恵美、琉球大学法科大学院教授)