<南風>修養の書に学ぶ


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 前々回(9月23日付)のコラムにて、読書尚友について触れたところ、日頃から敬愛してやまない先輩方から、貴重なアドバイスと御質問を頂いた。

 その主な内容は、(1)読書尚友というからには、「古人を範にする」というのではなく、「古人を友とする」のが適切ではないか。範にすると、読書尚師になり、ニュアンスが異なってくるように思える。(2)古典を心読した上で、まだまだ道半ばという表現は、若干イメージに乏しく、詳しい説明が必要だ。(3)読書尚友がテーマなので、出来れば愛読書も二、三紹介してほしかった、ということで、結局、続編を書くべきである旨、アドバイスを頂いたのである。

 実は、前々回のコラムの際に脳裏にあった古典は、江戸時代の儒者佐藤一斎の「言志四録」である。語録の中でも白眉と言われる人間修養の書で、幕末の志士にも大きな影響を与えた言わば人生指南書の傑作である。佐久間象山や吉田松陰、勝海舟や西郷隆盛といった歴史上の傑物が、その思想の流れを汲(く)んでいる。当然ながら、勝海舟の「氷川清話」や西郷隆盛の「西郷南洲翁遺訓」も愛読書のひとつで、これらもまた、修養の書であり語録である。

 このような先哲の言葉には、無数の教訓や魂のメッセージが秘められており、その生きた哲理を汲みとり、実践することこそが修養に繋(つな)がるのだが、まだまだおぼつかず、道半ばという表現になった。イメージしている古人も、前述のとおり、歴史上の大人物ばかりで、「古人を友とする」にはあまりに恐れ多く、結果的に「古人を範にする」という表現に至った。

 高潔で人望の厚い一斎先生に私淑する者のひとりとして、その大樹にはなれずとも、せめて一朶(いちだ)の花でありたいというあこがれを胸に抱きつつ、日々精進に努めているところなのである。
(山城勝、県経営者協会常務理事)