<南風>世界のウチナーンチュの日


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 週末、直撃した台風によって中止や延期となったイベントが多々あったが、あっという間に過ぎ去った台風とともに、10月30日の世界のウチナーンチュの日が過ぎた。

 テレビや新聞でも大きく特集が組まれていたが、ニューヨークでは、ウチナー祭り。ユタ州では、トゥシビー祝い。ボリビアでは、青年らが中心となって幅広い世代が参加した島唄カラオケ大会が開催されるなど、世界各地で「世界のウチナーンチュの日」を祝う関連イベントが行われた。

 海外のウチナーンチュは、私たちが忘れかけている宝物を気づかせてくれる。それは目に見えるモノであったり、目には見えない宝物。

 故郷を想(おも)う心や沖縄と向き合う姿。ひとつの歴史に関しても、多方面から沖縄を見つめさせてくれる。

 学校で習った沖縄戦。沖縄からハワイに移住し、幼少期に過ごした沖縄の地を敵国の米兵として踏んだウチナーンチュの話を初めて聞いた時は心が痛くなった。

 武器は持っている銃ではなく「ウチナーグチ」だと、ガマに向かって呼びかけ、多くのウチナーンチュを救った。違った角度から沖縄戦や平和の言葉の意味を考えさせてくれた。そして、戦後の復興を支えた海外県系人の存在に敬意を表する。

 先人たちは、この特別な日を空の上からどう感じているのだろうか。先人らが作り上げた歴史と生み出した文化を受け継ぎ、私たちは、恥じない道を歩んでいるのだろうか。

 これまで脈々と築き上げられてきたウチナーネットワークは、5年に1度の世界のウチナーンチュ大会や世界若者ウチナーンチュ大会などに加え、毎年お祝いできる日が生まれたことで交流の輪がさらに広がっていくことであろう。

 まさしく沖縄県が掲げる「世界に開かれた交流と共生の島沖縄」の姿である。
(玉元三奈美、世界若者ウチナーンチュ連合会代表理事)