<南風>健全な経済社会


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 この数年来、職場環境改善のための労使協議が、盛んに行われるようになった。人手不足と相まって、企業は今、長時間労働の是正や年休取得の促進などに取り組みつつ、人材の確保に努めている。確かに長時間労働を継続的に強いるような企業システムは改めなくてはならないが、それと同時に、労働の社会的意義を十分認識し、働き方改革によって得られる余暇をどのように活用していくべきかについても、真剣に検討する必要がある。

 特に留意すべきは、労働そのものを苦と見なし、その苦痛を減らすための手段が、働き方改革であるというような捉え方になってはならないということである。働く人の労働観や緊張感を緩めるような風潮であってはいけない。

 かつて完全週休2日制が導入された際も、労働の忌避について議論がなされたが、およそ先進国病の始まりは、そこに原因があったという事実を忘れてはならない。一時期3K(きつい、汚い、危険)なる言葉も流行(はや)ったが、勤労意識の低下が産業の空洞化を招き、企業の生産性を悪化させ、経済社会が衰退していった事例は、世界的に珍しいことではない。勤勉に働かずして創造的付加価値は生まれないし、企業や社会の発展を望めないことは、自明の理である。

 米国の政治家フランクリンは「立てる農夫は座せる紳士より尊い」と言い、トルストイもまた「人間が幸せであるための欠くべからざる条件は労働である」と喝破している。私達は、働くことによって経済社会を形成し、お互いに支え合っているということを認識する必要がある。その観点からして、働く人の労働観や勤労意欲はとりわけ重要であり、真の働き方改革とは、私達一人一人の生き方改革でもあるのだと言えよう。

 労働は、美徳の源泉である。(ヘルダー)
(山城勝、県経営者協会常務理事)