<南風>体験によって立つ言葉


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 核兵器廃絶を訴えてきたサーロー節子さんのドキュメンタリーを偶然見て、彼女の語りにくぎ付けになった。

 原爆によって瓦礫(がれき)となった家の場所を掘ったとき、その土がまだ温かかったこと、亡くなっていった幼い甥の姿。これまで書籍に書かれたものもあったのだろうが、初めて知ったと感じたことがあった。

 体験者の話を聞きたい。その場所を訪ねるだけでなく、そこで体験を直接聞くことは、より深く何かをつかむ一つの方法なのだと自身の体験からも思う。

 体験者の話は「私」という一人称の語りが中心だ。同じ空間を共有しながら語られる言葉や、息遣い、表情、身振りなどを通して聞く者に残るのは、内容だけにとどまらない。

 愛楽園退所者でボランティアガイドをつとめる平良仁雄さんがいつも最後に語る「温かい心」や、多磨全生園で語り部をしている平沢保治さんの「人間らしく胸を張って生きていくことの大切さ」は、体験から導き出された聞く人たちの心をとらえて離さない。

 もう10年以上伝える現場に立たせてもらいながら、体験から発せられる言葉に感応する人たちの姿を見るたび、「私」という体験によって立つ語りの重さを突き付けられる。

 一人称の語りの重さや、そこに決して立てないことを踏まえながらも、別の形の語りを模索することが求められている。

 そのとき、大切なキーワードは悲しみや心の傷なのだと感じる。誰もが経験するそれらの感情と、回復者から「私」が受け取り、伝える痛みや悲しみが呼応したり、共振したりするとき何かがまた手渡されたのだろう。

 冒頭で取り上げたサーロー節子さんは、言葉を探し続けるのだと語った。その言葉にがんばり続けなさいと背中を押された気がした。
(辻央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)