<南風>奇跡


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 起業して今月で20年目。色々あったが、11年前のあの出来事がなければ、この日を迎えることはなかった。

 同時多発テロ直後、国際的な仕事はなくなり、私たちは徹夜で新事業に取り組んでいた。作業も山場を超え久しぶりに熟睡していた夜明け、5歳の娘の異常な泣き声で目を覚ました。高熱で痛みを訴えている。パニックになりながら小児科医である自身の父を電話でたたき起こした。父の冷静な声を頼りに、無我夢中で市立病院にたどり着き、緊急処置が始まった。

 病名は骨髄炎。通常なら手足首なのに、彼女の場合はみぞおちだったため、判明までに時間がかかった。さらに数週間に渡る点滴投薬中になぜか白血球が減少し、とうとう命の危険を覚悟する事態となった。緊迫の夜、心優しい義母は廊下で泣き崩れ、私は精いっぱいの笑顔で娘の手を握った。結局、父と担当医の下した治療変更のおかげで、間一髪、我が子は死の淵から救われ、今は元気に高校生活を送っている。

 奇跡はこれからだ。気が付けば娘の入院で3カ月も会社を休んでいた。社員は娘の回復に喜ぶが、どうも様子がおかしい。新事業がうまく進まず会社の銀行口座が底をついていたのだ。私はこの絶望的な会社をたたもうと社員に持ちかけた。数日後、みんなから出た答えはNO。「もう一度、社長として頑張ってほしい」。契約終了の社員たちは退職し、残りの正社員は私に言った。「みんなでお金を借りて、私たちも減給で頑張る」

 耳を疑った。冷えきっていた心が熱くなり、涙がこみ上げた。良い経営者になろう。立ち上がった彼らのために! 幸い新事業へ銀行融資が下り、社員から借金することなく再挑戦が始まった。私たちは翌年にV字回復。その後も業績は小さいながら好調に伸び続けている。毎年、新しい挑戦を続けながら。
(石原地江、有限会社アンテナ代表取締役)