<南風>誰かのための子守唄


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 羊やヒージャーを数えても、どうしても眠れない丑三(うしみ)つ時。大切なコンサートが控えているから眠らなきゃと思えば思うほど、頭の中のヒージャーはオーラセーを始めてしまいそうな勢いだ。悶々(もんもん)とした夜を過ごしていた。

 ふと優しい子守唄を聴きたくなったが、大人になった私には子守唄を歌ってくれる人がいない。CDをかけようか迷ったが、唄者である私は自分で自分に歌ってあげることにした。我ながらナイスアイディアだと思った。ポツリポツリ歌い始め、気分が良くなってきた。いい調子だ。けれど、メロディーこれで合ってたかしら。もっと高音が綺麗に出ないかしら。などと真剣になり、終(しま)いには熱唱してしまい、ちっとも眠れなくなってしまった。この日は結局、歌い疲れて眠りに落ちた。検証結果。自分のために歌う子守唄は、眠れない。

 この出来事を後日、人に話して笑われた。今思えば自分でも笑えてくるが、あの夜の私は至って真剣だった。でも気づけた。歌は誰かのためにあるということ。自分で言うのもおこがましいのだが、この声は誰かのためにあるのではないだろうか。

 先日、甥っ子が生まれた。可愛(かわい)くて仕方がないので、目に入れてみようかと思ったが、さすがに痛そうなのでやめておいた。さぁ、綾おばさんが子守唄を歌ってあげましょう(おばさんとは呼ばせないけれど)。題名のない即興の子守唄。腕に抱いた温もりが心地よくて、いつの間にか私も一緒に眠っていた。大切な人に聞いてもらい、返ってくる波動のようなものが歌の良さなのだとしみじみ感じた。

 あなたも子守唄、歌ってますか? 子供たちに聞かせてあげてほしい。それを聞いた周りの人も幸せな気分になると思う。その際、熱唱し過ぎないようご注意を。
(上間綾乃、歌手)