<南風>幕の下りない舞台


社会
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 現在、那覇の中心市街地には大小様々な都市計画が進んでいる。小学校の統廃合、公設市場の建て替え、市民会館の新設など、大規模な計画は少なからず地域コミュニティーへ影響を与えている。そんな折、「公園を散策してコミュニティーを考えよう」という市民協働大学院の取り組みを知り、参加した。参加者は車いすの方、歴史に詳しい方、植物や昆虫の専門家、一流レストランのシェフ、外国から移住したご夫婦など、様々な地域の方々だった。

 元市役所の方が公園の歴史を解説してくださり、その後イタリア出身の方とおしゃべりを満喫しながら公園を散策していると、思いがけない言葉をかけられた。「これまで世界中を渡り歩く仕事人生だったけど、私は今の生活が一番。この公園は大好きな場所よ」。ここは危ないとか暗いなどと課題ばかり探していた私は、彼女の豊かな感性に心を打たれた。そういえば、30年前、私も彼女と同じような気持ちでローマに暮らしていた。

 留学中の私には、見る物すべてが美しい舞台セットのようで、目を閉じると今にも歴史上の人物が現れてきそうだった。ある日の校外授業で、教授はオペラ座の遺跡を背にしながら「ジュリアス・シーザーは鑑賞後、後ろから奇襲され、ここで息絶えた」と暗殺団のとった実際の順路をたどり説明した。最後に「人々は亡きシーザーに花を手向け、あたりは常に花であふれた。だからカンポ・ディ・フィオーリ広場には今でも花屋が多いんだ」と目を細めてしめくくった。

 公園や広場には、地域の過去が何気なく残っているものだ。その名残も風景の一部として認識し大切にすることで、コミュニティーに助け合いの輪が生まれるのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたら、ふとあの緑の小さな公園が舞台のセットに思えてきた。
(石原地江、有限会社アンテナ代表取締役)