<南風>心に残る言の葉


社会
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 両親が農業に従事していたこともあって、私の原風景は、東風にそよぐサトウキビの葉音を受けながら、額に汗してクワを振り下ろす父と母の後ろ姿である。農家の子であれば、さほど珍しいことでもないが、私は、殊の外この素朴な光景を大切にしている。

 一日の仕事を終える頃には、決まって真っ赤な夕陽が二人を包み込んでいたものだが、その光景は、まるでミレーの「晩鐘」のように静寂で、神々しくさえ思えた。

 あれは確か、中学の半ばだっただろうか。父母の農作業を、一日中手伝った時のことだ。私が「農業は、労力の割には、賃金に結びついていない。何かしら、儲(もう)からない仕事だなあ」と不満を漏らしたことがある。なんともバチ当たりなことを口にしたものだが、父は怒りもせず、真剣な眼差(まなざ)しで私を諭した。

 「父さんはなあ、金銭第一に農業をやっているわけじゃない。農作物を作り、育てることが、好きなだけなんだよ。丹精込めれば、みんな立派な花や実を実らせてくれる。その成長ぶりを眺めるだけで、十分幸福なのさ。心地よい汗水こそが、何よりの報酬さ」

 父は、こうも言った。「稲や野菜たちがね、笑みを浮かべて話しかけることだってある。素晴らしいとは思わないかい。大地の恵みやささやきを肌で感じ取るのが、農業ってもんさ。お前も、そのうちに大きくなったらわかるさ」。父の一言に、労働の何たるかを思い知った瞬間だった。

 生涯、財貨の富よりもひたすら精神の富を求め続けた父と母。その二人が他界した今となっては、土にまみれ、額に汗して生まれた言の葉だけが、日々、私の胸に迫ってくる。そのたびに、えも言われぬ有り難みとともに、そこはかとない寂しさが募ってくるのである。

 いにしえも今も変わらぬ世の中に心の種を残す言の葉(細川幽斎)
(山城勝、県経営者協会常務理事)