<南風>育児は育自


社会
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 「普通のママになって!」。娘がよく言う言葉だ。娘にとってお母さんは学校から帰ってきたらおうちにいて、宿題も一緒に見てくれる人なんだろう。土曜日も出勤、出張が多いため時々これでいいのかと自問自答する。そんな娘が最近「やっぱり普通のママにならなくていいよ。普通になったらもっと怒られそう…」って。放任の子育てのメリットに気づいたか。成長を感じた。「でも私がお母さんになったら子どもは学童には入れないで自分で見るけど、ママはお仕事がんばっていいよ」と。常に直球で自分の気持ちを伝える。

 息子は口数は少ないが、時々哲学者みたいなことを言う。はっとさせられることが多々ある。息子は宿題をしない。勉強が嫌いと思っていたら、「俺は勉強が嫌いではない。ちゃんと勉強している」と堂々と言う。私から見れば、勉強しているようには見えない。でも、息子の会話には歴史、地理、理科、算数の話が日常と結び付けられて出てくる。たとえば、私が出張に行くときに、その土地の名産物を教えてくれたり、最近は歴史の話を今の政治とつなげたりして、彼なりの言葉で一生懸命教えてくれる。確かに勉強している。

 娘は宿題をしっかりする。字も丁寧で綺麗だ。しっかり勉強している。でもその学んだことを生活につなげることが苦手だ。

 2人を見ているといろいろ考えさせられる。同じように育てているのに、全く違う。それぞれのやり方があって、その子のペースがあるのだろう。でも「勉強しなさ~い。大人になって困るよ~」と言ってしまう。

 大人になると当たり前のことしか言えなくなる。時々、子ども哲学を吹き込んでもらいながら、一人一人の個性を大事にして一緒に考えながら勉強しよう。勉強ってなんだろう。それを勉強しよう。子育て、大変だけどいろいろ勉強になる。
(平良和 沖縄リハビリテーション福祉学院教員、言語聴覚士)