<南風>治った病気と共に生きる


社会
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 「治った病気と共に生きる」。病気が治ったのなら健康なのだから、健康と病気の両立はおかしいと学校の先生に指摘されそうな文章だ。ハンセン病回復者の人たちをあらわすときに、しっくりする表現だと思うが、「生きる」という向き合い方ではなく、「生きざるを得ない」という方が圧倒的多くの回復者の現状なのかもしれない。

 沖縄戦体験者の心の傷が、戦争から今なお継続する占領によって繰り返される事件、事故により、あるいは記憶をめぐる改ざんを契機として、不意に意識され、現在も影響を及ぼしていることが指摘されている。

 日常のなかで、不意に喚起されてしまう、過去になることのない出来事。しかもそれは、個人で対処することの難しい、圧倒的な力をもつ機構によってもたらされたものだ。ハンセン病回復者が抱える心の傷と共通する点がたくさんあると感じる。

 今から50年前、愛楽園の医師であり、園長でもあった湊治郎さんは、30年後に次のような社会がやってくることを確信すると書き残した。「ハンセン病治癒者は社会帰ります。後遺症を抱える人も社会に戻り、障がいのある人々と共に権利を求めて生きていく」と。

 湊園長が考えていたのは、ハンセン病であったことを隠さなくてもいい社会であり、それを受け止めることができる社会だろう。

 現在、沖縄には療養所の外で暮らす回復者が約千名いると考えられるが、そのことを現在も明かせないと考える人がほとんどだ。

 昨年2月、熊本地裁に提訴したハンセン病家族訴訟の原告は500名を超え、その約半数は沖縄の人だ。提訴していない人もまだ多くいる現状も考えると関係者は私たちの身近にもきっといるだろう。湊園長が考えた社会と私たちの社会の間にはまだ大きな差がある。

(辻 央、沖縄愛楽園交流会館学芸員)