<南風>文章で語る


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 文章を書くことに苦手意識があった。「南風」の依頼が来た時、伝えたいことはたくさんあるが、本当に私でいいのかという思いでのスタートだった。毎回、いろいろな分野の人に評価してもらい、とてもありがたかった。小学校から大学まで、いや社会人になってからもずっと自分の文章を褒められる経験はなかった。だから学校の「先生」と言われる人たちからのお褒めの言葉はとても嬉(うれ)しかったし、少し自信につながった。

 1回目の文章は、肩に力が入り、硬く無難な文章だった。自分自身、他人の言葉のような気がしていた。いい文章、かっこいい文章を書こうと思えば思うほど、自分の言葉から離れていき、当たり障りのない文になっていた。吃音(きつおん)の勉強をしていく中で、私が一番学んだことは「自分の言葉で伝えることの大切さ」だ。流暢(りゅうちょう)にきれいな発音で話すという表面的なことではなく、内容が大事。そんなことを考えながら文章を書くことで、私らしさが表現できたのではないかと思う。

 「言葉は思考の道具」。話すことで整理されることもあるが、話し言葉は消えていく。文章にすることでより「見える化」され、自分のこと、自分の考えていることが整理され明確になった。明確になることで私の信念がますますぶれない軸となり、より頑固になった気もするが、頑固の原因がはっきりしてすっきりした。自分の思うベクトル、正しいと思うことを自分らしく貫き通したい。

 今回で最後の「南風」。文章で語る。音声で語ることとは少し何か違う深さを感じた。自分のことをもっと知ることができた。これからの課題もたくさん見つけることができた。次のステージに進むきっかけになりそうだ。これからも、いろんなことに挑戦して自分の人生、私らしく楽しむぞ。

 本当に貴重な経験ができたことに感謝します。

(平良 和、沖縄リハビリテーション福祉学院教員、言語聴覚士)