<南風>何に承認されたいのか


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 もし強者と弱者が対立していれば、弱者の発言に耳を傾けるのが、まともな大人のセンスだと思ってきた。

 ところが昨今、強い者に媚(こ)びる連中が、一気にのさばりはじめた。彼らは平気で弱者を批判し、強者に尻尾(しっぽ)を振る。

 生活保護者を小馬鹿にし、原発避難民を貶(おとし)め、米軍基地を拒否する沖縄を罵(ののし)る。性犯罪や冤罪(えんざい)に苦しむ人は嘘つきだと決めつけ、権力に少しでも抗議するとヒステリーを起こし、まるで重罪人であるかのように責めたてる。

 「保守」を名乗ることもあるが真っ赤な偽物だ。こんな美意識も羞恥(しゅうち)心もないものを「保守」とはとても呼べない。

 権威権力を絶対視するのは幼児的態度で、なのに大きな政府・福祉国家を嫌って新自由主義的弱肉強食に憧れる。強者に媚びる=弱者なのに、鏡の中にヒーローが見えているのである。つまり自己像が激しく歪(ゆが)んでいるということで、これも幼児の特徴だ。

 「承認欲求」という言葉がある。人間は社会的動物だから誰にでも承認欲求はある。問題は「何に承認されたいのか」だ。

 人類は過去、己の信じる神、もしくは権力者を神に見立てて承認を求め、殺戮(さつりく)を繰り返してきた。日本には「世間」「空気」という言い方もあった。

 もういい加減、自立しようではないか。超越的な何かになんて、別に承認されなくてもいいじゃないか。王様は例外なく裸だ。まともに生きて成長し、自立し、余裕があれば弱者を助け、知恵を使って、互いを尊敬し承認し合おう。

 自立した人間の数を増やすことが滅亡への抵抗になる。そう信じて私は、映画や演劇を作り続ける。陽気な嫌がらせこそ芸能の本質だから。

 皆さん、よいお年を。そして沖縄に幸あらんことを!
(天願大介 日本映画大学学長映画監督、脚本家)