<南風>上山中のニケ様


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 「退屈なものは」と問われたら、朝会での校長講話と多くの人が思い浮かべるに違いない。さて、その校長になり朝会で話さなくてはいけない。退屈でない話とは自分にしか出来ない話か、となると美術のこととなる。思い切って始業式にもかかわらず、体育館で映像を見せながらサモトラケのニケの話をした。英語読みならナイキ、そうルーブルにある勝利の女神像である。「立ち上がってニケのポーズを真似しよう」と言うと子どもたちは戸惑いながら少しだけ片足を踏みだした。「ニケは逆風に向かっている。あなたの逆風はそれくらいなの」というと、さらに大きく重心を前に傾け踏ん張った。みんな様々な課題を抱えた思春期真っ只(ただ)中(なか)のようだ。

 よく話を聞いてくれたので、生徒玄関にニケの大判写真を掲示した。そのうちにニケの前で祈る生徒が現れ、ニケの前で部活のミーティングをすることが流行となった。何やら歌う集団もいる。学校では行事ごとに生徒会がテーマを定めるが、運動会や合唱コンクールのテーマにもニケが登場し、行きがかり上、ニケのトロフィーを技術科の先生の力を借りて作ってみたら、予想以上に喜ばれ争奪戦になっている。サモトラケのニケは、いつの間にか、上山中のニケ様になった。

 ギリシャ神話の神々は、よく言えば自らの欲望に忠実で、超能力をつまらぬ事に多用し人間の人生に深く関与したがる俗物が多い。でもニケは、何の具体的な力も持たない。勝利した者の傍らに舞い降り、祝福するだけだ。だから、ニケに祈っても無駄なのだが、生徒はそれをよく理解している。

 自分が頑張れているかどうかの鑑(かがみ)としてニケが存在し、毎日、その前でたくさんの子どもたちが佇(たたず)む。ニケは逆風に耐えているポーズが美しい。悩み多き君たちが祈る姿もまた、限りなく美しい。

(前田比呂也、那覇市立上山中学校校長、美術家)