<南風>声の沼にハマった


社会
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 「諸見里さんはどういったお仕事ですか?」と聞かれると一瞬答えに詰まることがある。名刺を作るときにも肩書をどうするか迷う。フリーランスあるあるだ。フリーアナウンサー、レポーター、タレント、司会者などなど…いろんな風に紹介される。どれも仕事として受けているので正解。要するにしゃべる仕事ということだが、最近はナレーター・朗読者に統一している。

 ナレーションや朗読は私の核をなすものだ。高校1年の時、放送コンテストで朗読と出会ってすぐに一生の仕事にしたいと思った。何にそんなに惹(ひ)きつけられたかというと、声だけというところ。単純明快な世界だが、だからこそ難しい。ゲームも単純なものほどハマってしまうものだ。まんまと音声表現の沼にハマってしまい現在に至る。

 それにしてもウチの両親は度量が大きかった。ナレーターになりたいと言った時「好きなことをやったらいいさー」と本土の大学で学ぶチャンスをくれた。自分たちができなかった分、子供には頑張ってほしいと可能性をくれたわけだが、実のところナレーターになれる方法なんてわからなかっただろうし、夢物語に感じていたと思う。未(いま)だにテレビやラジオから私の声が流れてくると「本当に仕事してるんだねー」と言われる。はい、娘、頑張ってます。

 免許や資格がいらない仕事なので、誰でもなれるが、あり続けることは難しい。常に努力の世界でもあるし、振り向けば後輩も多くなってきた。

 さらに技術は日進月歩。今やAI(人工知能)にニュースを読ませる時代である。すぐにしゃべり手の仕事は取って代わられそうでドキドキするが、人間が感情の動物である限り、感情が絡む部分はそう簡単にはいかないだろう。私の声で伝えた情報が、誰かの感情を揺さぶるものであればいいなと今日もマイクに向かう。
(諸見里杉子、ナレーター・朗読者)