<南風>おじいちゃんと犬


社会
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 自宅近くの交差点を曲がった辺りで見かけるいつもの光景である。ラブラドルレトリバーの老犬と80代後半の方と思(おぼ)しきコンビ。ふたりの歩くペースはゆったりとしていて、互いに無理のない歩幅を保っている。おじいちゃんが一息つこうとすると、それを察して歩を緩める犬。そのタイミングが絶妙なのだ。このふたりに出会えた朝は、ふと私自身の在り様を考えるようになっている。

 私は、沖縄戦を体験した人びととの研究活動を十数年続けてきた。ここ10年は、地域で暮らす体験者が安心して自らの体験や想(おも)いを語り合える場を創ってきた。そこに参加するようになったハルさんは、戦後、天涯孤独だった。「自分の体験を語るには、そして、再び人を信じられるようになるには、60年の時間が必要だった」と語り、戦争で心身を痛められていた。出会った頃は、語るどころか、人と交わることすら怖がっていた。積極的に語り合う人びとに交じって黙り込むことも多かったが、「人と関わりたい」雰囲気が漂っていた。それを感じとり、ハルさんのペースを大事に関わり続けた末に、ようやく想いが言葉になっていった。その後まもなく逝去された。その物語が、昨年6月に出版した『沖縄戦を生きぬいた人びと』の一節である。

 ある日、いつもの犬の傍らに、いつものおじいちゃんがいなかった。一緒に散歩ができない状態なのだろうか。おじいちゃん不在の散歩は、数週間続いた。もしかすると、あの「おじいちゃんと犬」のコンビには会えないのかもしれない。そう思った師走のある朝、コンビが復活した。人知れず安堵(あんど)した。そして私はまたふと慌ただしい日常を振り返る。人は一人ひとりにペースがある。今日一日も丁寧に生きていこう。そう思いながらアクセルを緩め、ふたりのゆったりとした姿をバックミラーで見送った。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)