<南風>初めて進化論


社会
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 毎日、画期的に頭が良くならないかと思っている諸見里です。今年のやりたいことリストを考えている時に、昨年は初めてが多い年だったと気づいた。

 少年ジャンプ50周年展を見に、初めて六本木ヒルズの森美術館へ。52階という超高層の会場で生原稿の放つオーラと、お上りさん感覚も満喫。その足で銀座松屋の「ガラスの仮面展」へ。こちらも初。美内すずえ先生の暗号のような発想メモに、制作に対するただならぬ情熱を感じ、刺激となった。

 マツバランという古代植物を知る。植木鉢に勝手に生えたサンゴのような草で、沖縄ではよく目にする。江戸時代には観賞用として多くの品種が作られたそうな。

 知人から塩酒粕(かす)なるものを教えてもらった。肉や魚を漬けると1ランク上の美味(おい)しさ。その他モロモロ…。

 40代ともなるとつい経験したつもり、わかったつもりになってしまう。特に専門分野は経験値も加わり、さらっと処理しちゃったりするので余計にそうかもしれない。そんな中、初めてに触れると、世界は広く、達人は数多、自分はまだ未熟だと思い知る。

 「新しいことをメンドウと思ったら老化のはじまり」とは番組でお世話になっているドクターの言葉。確かに勇気と努力が必要な初めては億劫(おっくう)で、楽な方に流れがちかも。馴染(なじ)みは安心だが変化に乏しい。そうすると心身ともにメタボに…恐ろしい。

 「知ってしまえば知らなかった以前に戻ることはできない」そうだ。例えば箒(ほうき)の使い方を習得したら、箒を使えなかった自分はいなくなるし、箒を使えなかった自分にも戻れない。当たり前かもしれないがココ重要。初めての挑戦がうまくいかなかったとしても、挑戦前より確実に何らかの成長があり、後退はないのだ。画期的とはいかないまでも、初めてに触れた自分は昨日より進化しているはず!
(諸見里杉子、ナレーター・朗読者)