<南風>出会いは財産


社会
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 水球との出合いは小学校4年生の時。後に、選手として私の目標であり最大のライバルとなる、当時通っていたスイミングクラブの先輩に誘われたことが、水球人生の始まりとなった。

 寝食を忘れるほど水球に夢中になったのは、二人の恩師との出会いのおかげ。1987年の海邦国体を前に、中学生だった私は、国体優勝を目指し日々練習に励む高校生を憧れの眼差(まなざ)しで見つめていた。

 チームに発破をかけるのは、沖縄での水球の普及・発展を目指し鹿児島県からやって来た樋口稔浩先生。熱血先生の評判にたがわず、時に厳しく時に優しく、そして論理的に選手を指導していた。

 時が流れ高校生になった私にも、水球の技術面はもちろん、生活面、進路指導を含めた学業面、心豊かな人生を送るための人間関係の築き方などありとあらゆる面で、ご指導くださった。その後は、指導者としてどう在るべきか、どう進むべきか、日々葛藤する今の私を導く道標となって支えてくれている。

 もう一人の恩師、有西誠先生も鹿児島県出身。その強面(こわもて)ぶりに一瞬怯(ひる)むも、茶目っ気たっぷり、おおらかで寛容な先生の指導は小中学生の心を鷲掴(わしづか)みにしていた。表情やプレースタイルの癖など、瞬時に相手の事を見抜く指導はすごいの一言。1点を争う緊迫する試合の中で、監督としてどう攻めどう守るか。作戦を組み立てる時、有西先生の大胆かつ細やかな教えが蘇(よみがえ)ってくる。

 二人の恩師から教わった事を誇りにして続けてきた水球。選手としての鍛錬と監督としての指導を通して、全国各地の方々と出会い、学び合い、助け合い、絆を深めてきた。出会いは財産。自分の未熟さに苦しくなる日もあるが人との出会いを原動力に、感謝の心を忘れずに、今日も選手が待つプールへ行こう。
(永井敦、那覇西高校水球部監督)