<南風>どんぐり


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 友人にヤンバルのどんぐり拾いに誘われた。高江の林道でイタジイやマテバシイの実を拾い歩く。赤い実のサツマサンキライや白玉カズラも目を楽しませてくれる。と、緑濃い林の中に白い花が。野生のサザンカだ。庭などで見る園芸種とばかり思っていたので、透き通るような輝きを持つ白さに驚いた。お目当てのどんぐりには出会えなかったが、それは次回のお楽しみ。

 沖縄に来てすぐの頃、森の土産と言って手のひらに乗せてもらったどんぐり、オキナワウラジロガシの実だった。日本で一番大きなどんぐりだ。黒褐色で、まるまるとしている。試しに鉢に植えてみた。しばらくして若葉が出た。煙るような灰青色のうぶげにつつまれており、ため息が出るような美しさだ。

 私は岩手の山村の生まれなので、子どものころからどんぐりはなじみ深い。主にナラやブナの実である。秋になるとわけもなく箱いっぱいに集めて地面に埋めるのだ。後年、東北ではどんぐりを飢饉(ききん)の際の保存食として貯蔵していたと知った。小学校入学前だったと思うが、父の実家の土蔵を壊す際、カマスに山盛りになった10袋ほどの大量のどんぐりが出てきた。

 東北ではどんぐりをシダミと呼ぶ。ヤマセが吹く寒い夏には実りがないので、そのために蓄えておく。茹(ゆ)でて水に晒(さら)し、アクをとりシダミ団子にしたそうだ。兄弟で争ってものを食べたりすると父が「ケカズワラス(飢えた子ども)のようだ」と笑っていた。ケカズは飯に飢えるという意味である。鶴見俊輔の「高野長英伝」の年譜によれば、私の村はかなり頻繁に多数の餓死者をだしている。

 近頃、どんぐりは縄文食と呼ばれて注目を集めているらしいが、昭和30年代の初めまで飢餓を救う食料だったのだ。ヤンバルのどんぐりにはそんな背景はないのだろうか。
(遠藤知子、珊瑚舎スコーレスタッフ)