<南風>真剣


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 後輩の教師に授業改善のアドバイスをするときに、よくドライヤーの話をする。最近のドライヤーは性能が良くなって髪が早く乾くように感じる、と。でも、実はこの分析は正しくない。変化しているのはドライヤーの性能ではなく、私の髪の量なのだ。頭が薄くなっているのは認めたくないことだから分析を間違ってしまう、という分かりやすい例だと思って使っている。

 生徒の成績が思うように伸びない。そもそもの子どもの資質に問題があるのだ。あるいは家庭の貧困か。そんな分析をしてしまうまえに、教師は自分の授業力を見つめなくてはいけない。私はこんないい授業をしているのに生徒が伸びない、という主張は間違っている。生徒の学力が伸びてはじめて、いい授業といえるのだ。なぜなら主人公は生徒なのだから。私たち教師の力は、生徒の変化を通して計られるものでなくてはならない。いわゆるスーパーティーチャーのパフォーマンスに、私は関心が無い。生徒の活動より教師が目立ってどうするというのだ。

 もうひとつ忘れてならないことは、私たちを評価するのは生徒だということ。中学生は、上っ面だけを見て「やさしい先生が好き」などとは決して言わない。教師の指導力や情熱を的確に分析し、偽物を見事に見極める。「先生、ありがとう」と、子どもたちが涙とともにこぼす言葉こそが、私たちへの評価のすべてだと私は信じて疑わない。

 うちにも手のかかる子がいて、ある日、その子が「校長先生は変わっている」と。どこが、と問うと、一言「真剣」と答えたと職員から聞かされた。それを、ここで喜んで書いているのだから、私もそうとうに教師なんだとつくづく思う。その子には、職員みんなが毎日、愛情を持って本気で関わり続けている。だからこそ、校長まで真剣だと感じてくれるのだろう。
(前田比呂也、那覇市立上山中学校校長 美術家)