<南風>7年目を前に

 まもなく7年目を迎える。私はあの地震で大切な人を失った。震災のことをここへ記すことに躊躇(ちゅうちょ)した。同じような経験をした方々の記憶を呼び起こさせてしまう。そんな迷いがあるからだ。

 当時、私は福岡県で暮らしていた。2011年4月から沖縄での就職が決まっていて、3月はそれまでの仕事の引き継ぎに奔走していた。あの日は山口県の大学での勤務最終日。後任者との打ち合わせが終わり、詰め所へ行くとテレビから流れる信じがたい光景。「東北で大きな地震があり、高い津波がくる。高台へ避難を」と緊迫したアナウンスが繰り返される。大変なことが起きている。ただ漠然とした不安が募った。この時はまったく予想すらしていなかった。まさかその数日後に、私自身が東北地方の荒野に立ち尽くすことになるとは。

 その人と連絡が取れないことが分かったのは11日の深夜。福岡にいても何も分からない。どうにかして現地に入ることしか自分の中に選択肢はなかった。空港は閉鎖され、交通機関がマヒしていたため、数日かけて空路と陸路を乗り継いだ。ようやく辿(たど)り着いた東北の空は薄暗く、冷たい雪混じりの風が吹きつけていた。街全体に何かが焼けた臭気が漂い、汚水に街が覆われていた。以前訪れた街とは一変していた。いつもそこにあったものがない、いつもそこにいた人がいない。日常が崩れた街を何日もかけて、その人を探した。しかし、避難所や崩壊した家々を歩いて回っても消息がつかめない。持参した食料は3日で底をつき、何の手がかりもなくなった。激しい後悔の念を抱いたままタイムリミットがきた。福岡へ戻り、沖縄での新生活に備えなければならなかったからだ。臭いと悲しい泣き声が今でも心から離れない。

 「東北でやり残したことがある」。私はその想(おも)いを7年間ずっと持ち続けている。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)



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