<南風>民衆文化が培ったチムグクル


社会
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 ゆかるひ(那覇市久茂地)では様々な講座を開いています。芭蕉布講座、金城明一氏の水彩画教室、夏季集中講座だった伊狩典子先生のウチナーグチ講座、そして、具志堅要氏による「歴史」講座。「エイサー講座」「シマの宝さがし講座」を終了し、1月から新講座が始まりました。「絵画で読む世界史」と題し、第1回は「〈子ども〉の誕生」でした。具志堅氏の講座、特に前期の琉球文化の講座を拝聴しているうちに、私の琉球文化の価値観を180度転換させられました。

 25年暮らした長野で、周りの人々があまりにも沖縄のことを知らないので、理解してもらいたいと思い、「沖縄を感じる会」というのをやっていました。その中で、琉球王朝の成り立ちを紙芝居で説明しました。その時点で私は、高い文化を培った琉球は、王府があってこその繁栄だったのだろうと単純に考えていました。けれども、要講座を聞くうちに、心の温かさや包容力という精神面の利点は、民衆文化から派生したものではないかと考えるようになりました。

 裏で薩摩が税を吸い上げるため、民衆は重税に苦しめられていました。農業を生業(なりわい)とする民衆は、お互いに助け合わなければ生きていけなかったでしょう。そこで、様々な相互扶助システムが実践されました。

 例えば、要講座の「守姉」の講では、いわゆるクヮームヤーと呼ばれる、10歳前後の少女が3歳未満の子を子守する風習を学びました。女の霊力が我が子を守ると信じられた沖縄独特の、金銭の派生しない子守で、血縁関係の無い少女を親が探して来て、子の守りを頼む。子の母は、思う存分農作業に専念できるし、子は身内以外の精神的よりどころとしての姉を持つことができる。なんて合理的で素敵(すてき)な風習だろうと私は感激してしまいました。

 ウチナーの民衆文化万歳!

(屋嘉道子、ブックカフェ&ホール「ゆかるひ」店主)