<南風>研究が目指すもの


社会
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 琉大では、様々な学会やセミナーなどが頻繁に開催される。私が研究室の技官だった頃、研究支援業務や他大学の教員や大学院生との交流を通して、研究活動に接する機会に恵まれた。

 開催スタッフをしながら、昼は学会場の端で研究発表や討論を聞き、ポスター発表で教授にやり込められる大学院生や若手研究者たちを眺めた。夜の宿泊先では、アフリカの政情不安で調査が危うい、象の肉やカブトムシの幼虫の串刺しが恋しい、マラリアで死にかけた、兵士に自動小銃を突きつけられたという話が飛び交った。夜も更けて興がのってくると、リンガラ語やスワヒリ語での会話、チンパンジーやゴリラの咆哮(ほうこう)(ほえたけること)の実演なども飛び出した。私には彼らの体験がとても新鮮で、研究への情熱や調査地への想(おも)いに幾度となく感動した。

 小4の頃、アポロ11号が月に着陸した。連日、親や近所の大人たちが興奮気味に話し、月旅行用にお年玉を貯(た)めると宣言する同級生もいた。私はと言えば、砂漠の謎の壁画という考古学の本に嵌(はま)り、近隣の空き地や人様の屋敷の庭先をほじくり返していた。はた迷惑な子どもだったに違いないが、遥(はる)か昔のことが無性に知りたかった。恐竜やジュラ紀と聞くだけでワクワクし、時間旅行の映画に釘(くぎ)付けになった。数年経(た)つと太古への浪漫は消え失(う)せ、部活とラジオの深夜放送に夢中の、普通の女子中学生になっていった。

 研究室の昼休み、K教授はボノボの行動や調査地、現地の案内人たちのことを映像や写真で解説してくれた。ある日、「先生、この研究は何の役に?」と訊(き)いた。「ヒトがどこから来てどこに行くのか。それを知るためです」。ヒトや生物の過去と今を研究することで、未来への鍵を得る。「あ!」。小4の頃を思い出し、研究の価値を理解した瞬間だった。
(新田早苗、琉球大学総合企画戦略部長)