<南風>描かれた多様性


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ダイキンオーキッドゴルフトーナメントのポスターが街中に貼り出されている。今年は上山中の生徒の作品が採用され、学校や地域の明るい話題となっている。初回は並み居るプロを抑えて中学生が奇想天外な構図で大賞となったが、今年のポスターはそれを思い出させるのびのびとした絵だ。

 普天間の跡地利用の図画コンクールも忘れがたい。街の賑(にぎ)わいを象徴する具体物で埋め尽くされている絵の中で、何もない空き地で老女と孫が空を見上げていた。空にも何もない、米軍機も、という絵と出会った。

 私が大切にしているものに「家庭の日」の図画コンクールがある。審査会のメンバーは美術関係者は私だけで、青少年の健全育成に関わっている方々で構成されている。私が初めて参加した頃は、理想の家庭像という狭い概念が優先されていて、受賞するのは、大家族でみんな笑顔、みたいな絵だけ。応募も極端に少なかった。それから、核家族の日常、シングルマザーの奮闘、ビールを飲む父親、タトゥーの母親、スマホを使う子どもが描かれている絵などが寄せられるようになるが、それらも排除せず内容そのものを評価しようと審査員で議論してきた。審査基準の拡大は、理想の家庭像の広がりとなった。

 最近では、両親が同性の家族像も描かれるようになったが、これらの作品も温かい協議を経て受け入れられた。審査会メンバーの柔軟さには驚かされるばかりだが、こんなふうに私たちが心を開くことができるのは、目の前に絵があるからだと思う。様々な状況、時に過酷な現実でさえも、愛情を持ち、自分たちの家庭生活を誇らしげに描く直向(ひたむ)きな表現を前に、私たちは多様性を素直に受け入れる準備ができる。答えは常に今いる場所にある。子どもたちの表現によって、コンクールが変わり、やがて社会が変わっていく。

(前田比呂也、那覇市立上山中学校校長 美術家)