<南風>「TSUNAMI」


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 毎年、追悼式典に出席するため東北を訪れている。亡き人を偲(しの)ぶ、私にとって大事な儀式。

 ある年の道中。イヤホンから不意にこの曲が流れてきた。切ない恋愛を唄う歌詞だが、タイトルゆえ、震災後、メディアで流れることも、ライブで歌われることもなくなった。ふと、あるニュースを思い出した。宮城県の「女川さいがいFM」が閉局する際、最後にこの曲を流したという。選曲に正直驚いたが、あっぱれと言いたい気にもなった。

 震災直後、この曲への桑田佳祐さんの心境が綴(つづ)られていた。「いつか悲しみの記憶が薄れ、復興の象徴として歌える日がきたらいい」と。悲哀の記憶が薄れることはないし、月日を経るごとにむしろその記憶との向き合い方が難しくなっていた当時。大好きなこの曲への私の想(おも)いも複雑だった。

 少しずつ変わりゆく景色と変わらない冬空。ここで暮らしている方々と、年に数回しか来られない私。この日にここへ来てもいいのだろうか。今年で最後にしようか。そんな戸惑いと後ろめたさを感じる。それでも、私にとっては大事な時間。揺れる想いを抱えながら、初めてあるイベントに参加した。岬から暗い夜空に放たれた鎮魂・希望・感謝の光。灯火を眺めながら再びこの曲を聴いてみた。

 人には弱気な部分も闇の部分もあり、涙もろい過去や侘(わび)しさに怯(おび)え、通りすがるあの日の幻影にすがり、見た目以上に格好悪く生きている。いつか深い闇に夜明けが訪れることを願って。歌詞の意味をかみしめながら宿に戻った。

 その頃からか、震災でのことが言葉になってこぼれるようになってきたのは。いつかまた、この曲をライブで聴きたいと私は思った。きっと、思い出はいつの日も雨ばかりではない。その年の帰路、見上げた東北は澄んだ青空だった。空へ鎮魂の祈りを込めて。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)