<南風>ゆとり教育礼賛


社会
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 25歳の双子の息子たちがいます。ゆとり教育と言われた時期に小学生でした。

 長野市の川中島小学校。善光寺のお膝元、まだ田圃(たんぼ)もたくさん残る、のどかな環境の地域です。農業に従事している家も多く、特に桃が有名で、川中島白桃としてブランドにもなっています。

 息子たちが低学年の頃は土曜日もお昼までの半日授業がありました。それを利用して夏の一日、全校生徒で近くの犀川(さいかわ)に行き、魚釣りをしたり石投げしたり、砂絵を描いたりと、思い思いに遊び戯れる行事がありました。ちょうど我が家の向こうの道を川に向かって歩く子供たちが見え、釣り道具を持つ子、バケツを持つ子、その楽しげな様子に私までワクワクしたものです。

 それから、ゆとりの授業という教科があり、地域性を活(い)かした様々な取り組みがされました。

 息子の一人のクラスは、桃農家から指導してもらい、桃の成長を見守り、収穫し、桃のシロップ煮を作り、お世話になった農家の方をお招きし、桃のショートケーキを作って収穫祭をしました。もう一人の息子のクラスは、江戸時代に完成した用水路の歴史を調べたり、地域に残る伝説の聞き書きをしたりしていました。

 他の学年も、麦づくりをして収穫した麦でうどんの会をしたり、ソバ作りをしてソバを打ったり、先生も生徒も活き活きと取り組んでいました。地域の人々も協力を惜しみませんでした。

 アフリカに「子ども一人を育てるのに村が一つ必要だ」という言葉があるそうです。まさにその言葉どおり、子どもたちの健やかな成長のために地域の大人たちが支えていました。

 ゆとり世代の若者たち、君たちは最高の教育を受けたことを誇りにできるよ。何よりも地域を愛し、人を信頼することを学んだのだから。
(屋嘉道子、ブックカフェ&ホール「ゆかるひ」店主)