<南風>ポケットの中


社会
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 私は1984年2月15日にIGA(インターナショナル・ゲイ・アソシエーション)日本支部を創立しました。「ゲイ・ホットライン」と称する電話相談を開始しました。

 1987年8月に第1回IGA日本年次総会で会則を審議しました。ところが「年会費千円」という条項に同意しないとして大量脱退者が生じて活動凍結となりました。

 1989年8月、IGA日本年次総会を開催し、運動を再開しました。1994年8月、「第1回レズビアン・ゲイ・パレード」を主催しました。50名で出発、最終時には300名の参加となりました。1995年の第2回パレードは1千名が参加しました。

 1996年の第3回パレードは2300名の参加。パレードの後の集会で「宣言文」が採択された直後、会場の中から「異議あり」と叫び、ステージへ駆け上がって演説をはじめる集団が出現しました。議事は混乱のうちに閉会となりました。彼らはそのとき、現場にいた責任者を殴打して転がし、ハンドマイクを耳元に置いて誹謗(ひぼう)中傷をしました。

 そのことが禍(わざわい)して責任者は7階の私たちの事務所の窓から飛び込み自殺をしました。この事態は前年のパレードに起因していました。パンフレットの広告営業をした人物が収入代金100万円を実行委員会にではなく、自分の預金口座に振り込ませ、会議で追及された腹いせに仕組んだ謀略事件だったのです。

 私は運動のリーダーとして大言壮語を弄(ろう)し若者たちを集め一人の若者を死に至らせてしまった、と深く後悔しました。パレードの世間的評価に便乗して金銭的不正を働く人物が登場したことを悔やみました。言い訳はするまい、と運動から身を引きました。

 私のポケットに苦い過去が隠れています。ときどき胸を突いてきます。
(南定四郎、LGBTQフォーラム2018実行委員長)