<南風>水と多肉植物と私


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 水やり。枯れた多肉植物。人間関係。ここから見えるものは?

 園芸は私の趣味だ。仕事場の玄関先で観葉植物、ベランダで野菜を栽培している。すくすく育つ植物は愛(いと)おしいし、収穫できれば喜び倍増だ。

 ここ数年、園芸界のスターは多肉植物。多肉植物とは葉や茎に水を蓄える植物の事でサボテンやアロエもその仲間だ。ユニークな形、豊富な色が魅力。綺麗(きれい)に寄せ植えされた多肉植物の鉢は宝石箱のよう。仕事場にあったらさぞ楽しかろうと幾度となく挑戦するも枯らしてしまう。なぜ?!

 さて。私は以前、訳あって喋(しゃべ)り手を目指す若手を受け入れていた。自分が駆け出しの頃、頼る人がいない中での模索は苦しかった。だからこそ助けになればと思ったのだが、どうも上手(うま)くいかない。助言をすると押しつけと言われ、仕事を振ると望んだ仕事ではないとなる。趣味の活動ではないのでこっちは必死だ。数年努力したが、ある年にすっぱりやめた。ほとほと疲れてしまったのだ。私には無理。これがゆとり世代かと悩んだり、自分を責め、自己啓発セミナーに通ったりもした。でも納得いく答えは得られなかった。

 ある日、ふと気づいた。水が欠かせない植物と私は相性がいい。対して水やりはほどほどの多肉植物とは相性が悪い。私にとっての水は愛情だ。対象によって愛情の注ぎ方がある。そう考えると若手に対する私の愛情は、多肉植物に毎日水やりをするようなものだったかもしれないと反省した。

 その後、若手に関しては要請があれば対応している。今のところ平穏だが、毎回難しさはある。

 現在、5度目の多肉植物に挑戦中。枯れないまでも間のびしてきた。今度こそと思ったが、甘くはない。多肉植物との間合いが分かった時、人間関係の謎も一つ解けるような気がしている。
(諸見里杉子、ナレーター・朗読者)