<南風>遺影を抱えて


社会
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 3月11日、今年は東北へ行くことができなかった。別の地で、ふと、ある年の慰霊式典で隣に座っていた少年を思い出していた。

 隣から聞こえてきた会話から、その少年はもうこの街には住んでいないようだった。3年間サッカーをしてきたこと、まもなく中学を卒業すること、その少年の今を勝手に想像しながら、ひとりぼっちで座っていた私はなんとなく隣の会話に耳を傾けていた。

 式典が始まる直前、サッカー部の生徒が使っていそうな大きなカバンからそっと遺影を取り出した少年。ご両親なのか、幼い子2人はきょうだいなのか。「亡くなった方々の分も毎日を大切に生きていこう」という歌を合唱する小学生の声とともに、4人を抱きながら静かに涙を流している少年の悲しみを隣で感じ、私はそっと手を合わせた。

 あの日からこの少年はどんな想(おも)いで過ごしてきたのだろうか。亡くなった方々の分まで生きることなんてできない。自分ひとり生きていくのもままならない。そう想う日もあっただろう。

「空から見守られている」感覚が支えになる日もあっただろう。がむしゃらに、亡くなった人が生きたかった日々を生きると自分に言い聞かせた日もあっただろう。式典会場を出ても、しばらく少年のことが気になっていた。それは、私自身の気持ちを投影させていることを自覚しながら。私は、この日の少年の涙をずっと覚えておこうと心に誓った。二度と会うことはないかもしれないけど、この少年を遠くから応援している。「祈っているよ、君の幸せを」と、日々ふと思うこともある。

 遺された一人ひとりの人生の中で、大切な人が亡くなったという事実が幾重にも折り重なっている。3月11日はそのことを実感する日。大切な人を震災で失った私にとって、3月11日を東北で過ごすことは大事な儀式だったのだと感じる。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)