<南風>遅いスタート


社会
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 腹話術との出会いは中学2年生の時、テレビのニュースだった。

 「婦人警官のお姉さんが子ども逹に腹話術で交通安全のルールを教えました」。腹話術を初めて知った。その時人形が欲しかったが手に入らず、私の腹話術ブームは数日で終わりを告げた。その後、役者になりたいと思うようになった。どうしたら役者になれるのか?

 役者は人前で演じるための度胸が必要だ。「何かパフォーマンスをやってみよう」

 度胸付けに始めたのが、ものまねだった。結構うまくいって、高3の時には沖縄予選を勝ち抜いて全国放送のTBSテレビ、愛川欣也さん司会のものまね番組に出演した。これも全て役者という夢に向かっての行動だった。高校を卒業して演技の勉強のため、横浜放送映画専門学院に入学。しかしわずか4カ月で中退。入学1カ月後にフジテレビの素人参加番組のグランドチャンピオンになって、ものまねタレントとしてデビューしたからだ。しかし現実は甘くない。仕事はカラオケ大会やお祭りの司会などテレビとは無縁のものばかり。有名になってドラマに出演する! という夢は叶(かな)うことなく3年以上が経(た)っていた。ふと思った…もう一度、一から役者の勉強をしよう!

 22歳で劇団に入り舞台役者になった。しばらくは楽しかったが、3、4年経って芸風の違いなどに悩んでいた。そんな中、旅公演先で宿泊した旅館で宴会があり、ものまね芸を披露した。すると大先輩の米倉斉加年さんから声をかけられた。「君は一人で演じているほうが生き生きしているね」。『一人芸』には興味があった。自分が主役になれるからだ。しかし今更ものまねに戻る気はなかった。ものまね以外で、一人でできる芸はないか? 模索した末、中2の時に見た腹話術の記憶がよみがえった。28歳からの遅いスタートだった。
(いっこく堂、腹話術師)