<南風>対象誤認仮説


社会
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 22歳の私は棄郷して東京に向かいました。10年間は絶対に家族に手紙を書くまいと心に誓って、その通り実行しました。敵対的感情があったからではありません。出郷した志が砕けるからです。

 高校に通学している若者がLGBTである自分に気づいたときに一番はじめに思い浮かぶのは「正体が親に知られてしまうのではないか」という心配です。本心を告白した途端に泣き叫ぶ母親が目に浮かぶことでしょう。私も何度、布団をかぶって自問自答したことでしょうか。その結果、家出を決意しました。

 大学受験などという口実を設けて少年はひそかに家族を捨てます。たとえば、本土から沖縄の大学に受験して卒業後も沖縄に残って就職し、独身を貫いている中間管理職の男性がいます。

 最近まで私はこれがLGBTのライフスタイルだと思っていました。

 しかし、実情はいささか異なるようです。インターネットには、郷里から上京した両親と一緒にレストランで食事を楽しんだと、ゲイの息子が3人の写真を添えて投稿しています。もちろん両親は子供の性向を知らされています。

 このようにアッケラカンとした親子関係は彼らが特殊なのでしょうか。

 「家族」に対する距離の関係性が私の育った時代とは異なるのではないか、と思えて仕方がありません。恐らく私の家族に対する意識は肌の接触感覚をいつまでも離したくないという思いが強かったのではないか。同化することの自己陶酔から脱出できずに親を独占したいと渇望する結果、恐怖が増大したのではないか。

 結論を述べます。

 LGBTが正体露見を恐れているのは相手を見誤っているからなのです。問題は自分の側にある幼児性を発見することではないか。これを「対象誤認仮説」と称します。
(南定四郎、LGBTQフォーラム2018実行委員長)