<南風>偉大な Water Polo Man


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 あれから、10年…。

 苦しい時にいつも思う。彼がいれば…。

 10年前、彼は急性白血病で亡くなった。発症したのは高校1年の秋。幼い頃から水球を始め、翌年こそは全国大会に出場できるよう練習に励んでいる頃だった。

 何か、おかしい…。異変を感じた私は、すぐ病院に行くよう指示した。練習後、病院に直行した。医者から、この体で練習していたことを驚かれた。今後のことをお父さんと話した。日が暮れる赤い景色の中で、お父さんが泣きながら言葉にした。白血病の疑いがある。

 もって、あと3カ月…。嘘だ、これは現実なのか。周囲の動きがスローモーションに見えた。夕日が沈んでいく中、お父さんと泣いた。あの時の光景は一生忘れない。一日でも長く生きることを願い、病院を後にした。

 自分に何ができるのか、悩んだのは部員への説明であったが、本当のことを打ち明けた。時間が許す限り病院に足を運んだ。彼は気力をふりしぼり、必死に生きた。3カ月の余命が1年にまで延びたのは、彼の生きたいという気持ちの強さがあったからこそだ。

 深い悲しみの中、我々にできることを部員と話し合い、彼を必ず全国に連れて行くと決めた。もちろん簡単ではない。九州で本当に代表権を獲得できるのか。

 彼がいれば…。試合が始まると不思議なことが連続した。選手の動きも違う。彼がみんなの背中を押している。彼も一緒に戦っていた。何度対戦しても勝てなかった相手に勝ち、新潟国体への代表権を獲得。本国体で7位入賞した。告別式の弔辞で沖縄の水球をメジャーにすると約束した。しかし、簡単ではない。

 彼がいれば…。今頃、指導者として活躍しているだろう。高い壁が立ちはだかっても彼がいつもの笑顔で励ましてくれる。勇気をくれる。

 俊、これからも沖縄水球を見守ってくれ。

(永井敦、那覇西高校水球部監督)