<南風>ターニングポイント


社会
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 この時期、空港では旅立ちの光景をよく見かける。先日は、見送りに来た友人たちから激励を受けた若者が、人目もはばからず感極まって号泣していた。搭乗口手前のゲート付近で友人からかけられた「がんばれ」。その声に応えるように突き上げた力強いこぶし。見ず知らずの別れのシーンに、思わずもらい泣きしてしまった。

 私は高校卒業と同時に進学で沖縄を離れた。これといってやりたいことがあるわけではなかった。沖縄で生まれ育った私は、もっと色々なことを経験するために、とにかく県外へ出たかった。それを認めてくれた親には心から感謝している。

 ホームシックになることもなく学校へ通い、新しい友人もでき、新生活は順調だった。しかし、半年が過ぎた頃に異変が起きた。学校へ通うことができなくなったのだ。心配して訪ねてくる人もいたが、応じることができなかった。今思えば、あの時の私は「うつ状態」だったのだろう。

 1年が経過しようとしていた頃、友人と共に鈍行列車で関西へ旅に出た。ゆっくりと流れる車窓を眺めながら、これから自分はどうしたいのだろうと考えていた。そんな道中で遭遇したのが、阪神・淡路大震災だった。帰るに帰れず、避難所や独居の高齢者宅でボランティア活動をさせていただいた。月日が経(た)ち、少しずつ物理的な復興を遂げる狭間(はざま)で、こころの復興が追いつかずに取り残されていく人たちと出会った。人のこころの機微に触れ、心理学という学問と心理臨床家という存在を知った。それから進路変更して今に至る。

 多くの尊い命が失われた震災。被災された方々が多くおられる中でこう言うのは大変はばかられるが、どん底の心理状態を経験したことも含めて、人生で無駄なことは一つもないと私は思う。新年度を前にあえて記したい。エールを込めて。
(吉川麻衣子、沖縄大学准教授 臨床心理士)