<南風>思い込み


社会
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 数年前、恵比寿のとあるビルで仕事をした。控室の階からショー会場の階まで行くエレベーターに乗った。コーヒーをトレーに載せたウェイトレスさんが先客として乗っていた。私がエレベーターを先に降りる際、その女性がドアボタンの「開」を長押ししてくれたのでお礼を言った。喜んでもらおうと思い、腹話術の高音で「ありがとうね」と。するとその女性は驚き、動揺のあまりトレーが揺れた。しかも全く喜んでいない。それどころか怯(おび)えている。

 早い話が、その女性は私のことを全く知らなかったのだ。彼女からすればエレベーターに同乗してきた男が、去り際に口を動かさずに変な声を発し出て行った、ちょっとしたホラー体験をしたことになる。自分を誰もが知っていると思ったら大間違いである。

 もう一つ。北海道のある町に行った時。公演会場に着いて間もなく日課のジョギングに出た。知らない町を走るのは楽しい。どんな建物やお店があってどんな暮らしがあるのか? とても興味深い。新ネタのアイディアが浮かぶこともある。…その日もいつものようにジョギングして会場に戻って来た。いくら北海道といっても夏は暑い。すぐにシャワーを浴び、Tシャツ、下着を手洗いし外に干した。洗濯物は強い日差しによってすぐに乾いた。

 その後、本番も無事終了。会場を出ようとした時に声を掛けられた。楽屋の世話(飲み物の手配など)をしてくれていた女性だった。小さな紙袋をそっと渡された。心の中で「そうか!私のファンだったのか」と思いながら「ありがとうございます」とプレゼントを受け取った。車の中でプレゼントの中身を確かめた。袋には見慣れたパンツが入っていた。「しまった!」。洗濯した後、誰にも見られぬように、姿見の裏にひっそりと干したパンツを回収するのを忘れていた。あ~!!
(いっこく堂、腹話術師)