<南風>身体技法


社会
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 某所のパーティーで若い男性が熱心に話をしています。彼とは一回だけですが面識があります。やや離れた場所から見える話しぶりは指をしならせ腕を泳がせて、いわゆる「なよなよ」の極致と言ってもいいほどでした。

 私が彼と同じ年ごろのことを語りましょう。私は勤務先の昼休みどきに同僚たちが野球のキャッチボールをしているのを眺めていました。

 「お前もやってみるか?」

 誘いにのって気軽に投球をしたところ、大声でどやされました。

 「なんだ? 踊りをやってんじゃないか?」

 私のキャッチボールは日本舞踊さながらに「なよなよ」としているという嘲笑(ちょうしょう)とともに陰口を囁(ささや)かれる羽目になりました。私は自分の一挙手一投足を矯正するために、商店のガラス戸を横眼に見ながら歩行訓練をするなど様々なトレーニングに励みました。その結果全く「男っぽい」態度を身につけました。

 ところが、パーティー会場の若者は「男らしさ」に煩わされることなく、自然体が「なよ」っとしていることさえ気づかないようです。性別と身体技法の差異は、時代の流行現象ではありません。異性愛者自身の中にも発生している多様な性は未婚の男女を増幅させ、アミーバー状に「あいまいな性」が拡大しています。紋切り型の価値観では、今や混沌(こんとん)とした性の感覚を回収することは不可能です。

 祖父と孫ほども遠い世代の若者と私ですが、それぞれの内部に一貫する性向は消滅しません。たとえ「ジェンダー・クライシス」を解消したとしても、そのあとに残るのは目には見えない性向の組織図です。

 LGBTが公共空間における平等と公正を求めるのは当然の主張です。しかし、問題群の陰にひそむ核心は不可視の知覚や慣習行動や欲望のなかに根づいている性向にあるのです。
(南定四郎、LGBTQフォーラム2018実行委員長)