<南風>畑の卒業を祝う会


社会
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 珊瑚舎にはもう一つの『卒業』があります。「山がんまり」で行われる「畑の卒業を祝う会」です。春休み前の最終日の午後から開かれました。今年の卒業生は2人でした。卒業生は卒業課題の「文章による自画像」をそこで朗読します。

 この日は雨でした。朝からの作業で2人とも泥だらけです。お祝いの華やかさはありません。緊張した面持ちで2人は朗読しました。

 1人は何事にも真面目に向き合い、努力家で、みんなに慕われています。そんな自分を原稿用紙の文字に投影し、「ます目からはみ出さず、間違いがないように、うまく書こうとして大切なものをいっぱいこぼしてきてしまった」と振り返ります。「はみ出してもいいんだ。きれいにならなくてもいいんだ。汚い自分を、きれい事でぬり固めない生き方をしたい」「必要なのは理想の自分を過去から探すことじゃない。変わっていく自分を大切にしたい」

 もう1人は頭の中で考えていることがうまく言葉にできず苦しんでいました。みんなから哲学者?と言われています。「中学の時は相手の痛みが解(わか)る人になりたかった」。でも、それは独りよがりだったと気づいたそうです。「僕は知らなかった。言葉を探して悩みながら文章を書くことがこんなに楽しいことを。意見をぶつけあうことが授業ではとても大切だということを。サバニを漕(こ)ぐことがあんなに疲れるんだということを。僕は知らなかった」「自分が何を知らないのか分かった」。次は「自分のことが解る人になりたい」。

 朗読の後、在校生が拍手するまでに間がありました。2人が自分という人間の輪郭を手に入れたことが、みんなとともに沁(し)みていく時間でした。校長が贈った言葉は「アーティストは職業の名前ではない。生き方の名前です。今後もアーティストとして、創造者として生きていこうね」でした。

(遠藤知子、珊瑚舎スコーレ スタッフ)