<南風>自分の居場所


社会
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 4月になり人事異動があって職場の雰囲気も変わったようだ。私は異動ではなかったが、年度末に忙しそうに片付けや引き継ぎをして去っていく人を見送っていると、なんだか取り残されたような気分になり、自分も異動したくなったりする。そして、どうせなら離れた場所へと孤独に旅立ちたいとフーテンのように夢想する。遠くへ遠くへと。

 私は二度の海外勤務の経験がある。一度目は3年間、当時の文部省の派遣で香港日本人学校での勤務、20代終わりから30代初めまで。二度目は自治省派遣のシンガポール美術館での1年間の研修、これは30代後半だった。

 日本人学校は世界中にあるから、ヨーロッパの学校に派遣になれば、その3年の間に何とかして現地に住み続ける方法を見つけて、日本へは帰ってくるまいと密(ひそ)かに考えていた。憧れの西洋美術の地で暮らすことを夢見た。しかし派遣先は香港、あては外れてしまったが、天安門事件や中国返還を控え大きく揺れ動くその地で思いもよらぬ出会いがあり、二度目の海外勤務は、東南アジア美術の研究のためにシンガポールを自ら選んだ。

 どの国でも、ある程度の期間暮らすとだんだんと居心地がよくなり帰りたくなくなる。小さな失意を抱えてやむなく帰国、そしてまた海外への脱出を夢見る。環境を大きく変えることで、青い鳥が見つかる、そんな気がするからなのだろうか。

 私の本当の居場所はここではない。きっと私には別のどこかが待っている。学校が面白くない、という子どもたちのなかには、そう思っている子もいる。もしかすると先生のなかにも。しかし、私が自分探しの旅で気付いたことは、どこも同じで、どこも自分次第だということ。居場所は自分でつくるしかない。答えはいつも、今いる場所にある。さあ、新学期をスタートしよう。
(前田比呂也、那覇市立上山中学校校長 美術家)