<南風>「まなざし」の恐怖


社会
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 偶然のことですが、私は18歳の夏に書店の雑誌売り場に並んでいた1冊の雑誌を手にしました。『同性愛者が集まる秘密の館』とタイトルをつけたルポルタージュを立ち読みしました。そこに記述されているのは私のことではないか、と思える内容でした。そこで、内心ではドキドキしながら「私は同性愛者なのだ」と生まれてはじめて自分の性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)に気づいたのでした。

 そのときから43歳になるまで勤務先が3年と続くことはありませんでした。就職して1年目は仕事を覚えることに無我夢中です。2年目になると要領を覚えてマイペースで働きます。3年目には周囲の空気を読めるようになります。ここから私に対する「まなざし」が気になります。

 「まなざし」とは何でしょうか。誰かがどこかで私を見ていると思う意識です。言葉に出して差別をするわけではありませんが、私の態度物腰や反応を観察している視線を感ずることです。「お前は同性愛者だな?」という疑問から出発している視線があって、寸刻も油断を許されません。「まなざし」が私の全神経をゆるがし、ある日突然に依願退職をする、という繰り返しが25年間も続きました。私を射る「まなざし」は同性愛者であるか、ないかの問いかけでした。家族制度の規範が隅々まで監視を怠らない時代だったのです。

 しかし、今や未婚率が上昇傾向を示し、20年後には高齢者の単身男性が356万世帯、女性は540万世帯に拡大するとみられています(国立社会保障・人口問題研究所)。家族そのものが存在を危ぶまれ、職場にも単身者が珍しくはない風景があります。「まなざし」は効力を失い、時代は明らかに漂いはじめてきました。勇気を持って一歩を踏み出しましょう。そこから未来がひらけてきます。

(南定四郎 LGBTQフォーラム2018実行委員長)