私は沖縄市社会福祉協議会の電話相談員をやっています。某日の相談から考えたことを語ります。当然のことながら相談者のプライバシー保護には配慮しています。
――どのようなご相談ですか?
「年金受給者ですが私のセックスの相手がみんな死んでしまいました」
――悲しいことですね。
「お宅さんに相手をしてほしいのです」
――私は86歳の高齢者ですからお相手はできません。
「年上が好きなのです」
――肉体的に無理です。
「お宅は何もしなくていい。私が気持ちよくさせます」
――あなたはセックスの相手を求めているのですか?
「そうです」
――そのような相談は受け付けていませんので通話を打ち切ります。
「では何の相談をしているのですか?」
――LGBTの身の上相談で身の下相談はしません。
私は大いに悩みました。阿刀田高著『漱石を知っていますか』の「新約聖書マタイ伝18にある言葉で百匹の羊のうち、1匹が群れを離れて迷ったとき、迷わない99匹を残してでもその1匹を探しに行く」(同書112ページ・新潮社刊)と引用した箇所を読んだばかりだったからです。聖書には疎いので聖書論争に深入りはしません。とは言え、1980年代初頭に「AIDS予防法」審議の過程で1匹の羊論になぞらえて1人の感染者の救済を主張した過去を思い出しました。
わが国では異性愛者の男女における婚姻関係では性行為は排他的独占が通常です。だからと言って、短絡的に適用してセックス・パートナーの死によってもたらされた孤独なLGBT高齢者の悩みを切り捨ててよいものでしょうか。私には未解決のまま心に残っています。多くの叡智(えいち)を集めて時間をかけて議論をしなければなりません。
(南定四郎、LGBTQフォーラム2018実行委員長)