<南風>母がとっておいたもの


社会
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 母に介護が必要になり、バリアフリーなアパートに引っ越した。古い実家と父のアトリエを取り壊すために片付けをしている。まず、私の大量の絵を運び出す。行き場のないものたち。処分に困る。捨てるしかないのだが、なかなか決心できない。

 実家は、時間に取り残された様々な物で満ちている。レトロな昭和のおもちゃは人気ですぐにもらわれていった。母が作る不思議な色彩のパッチワークはけっこう人気があったが、すっかり汚れ色あせてしまったので捨てることにした。弟がため込んだプロレスの雑誌類、マニアには貴重だろうが私には活用方法が分からず時間をかけて処分した。

 捨てられない物もある。母の妹からの母を気遣う大量の葉書も見つかった。心配されていた。母も一人ではなかった。我が家からの年賀状も大切にとってあった。そこには子供たちの写真があり、ひさしぶりに幼い彼らに出会う。母が信仰している教会の書籍や聖書、これも捨てにくい。

 そして、請求書に領収書、大量の滞納通知、様々なDMから、生活の様子が分かる。これまであまりに母に関わってこなかったのだと、片付けをしながら辛(つら)くなって手が動かなくなる。

 母は手先が器用ではなかったが、物作りが好きで色んな物を作った。細かくないから、へんちくりんで、そこが私は好きだった。認知症になり、今は物を作る意欲もすっかりなくしてしまった。他にこれといった楽しみもなく、信仰と子育てが生きがいのような人生だった。母は、実家で一緒の時間を過ごすより、私が自己実現に努力することを望んだ。それを言い訳にして足が遠のいた。果たして私は母の期待に応えられたのか。型紙と一緒に私に関する新聞の切り抜きを入れたファイルも見つかった。これももう母には必要ないだろうから捨ててしまおう。
(前田比呂也、那覇市立上山中学校校長 美術家)