<南風>車が売り切れ


社会
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 36歳で初めて車を持つこととなった。東京で暮らして17年が過ぎていた。腹話術でブレイクして、ショーの持ち時間が長くなり、次第に人形も増えていった。スーツケースを一人で三つ運ばなければならなくなった。多くの人形を運ぶために決心したのだ。しかし車の知識など全く持ち合わせていなかった。18歳から36歳までのペーパードライバー。

 何を買ったらいいのやら。唯一の条件が大きさ。当時マンション暮らしで立体駐車場に入ることが何よりの条件。幅180センチ以内、高さ155センチ以下、スーツケースが三つ載る。…当時3歳の娘と2人でホンダに行った。娘は車を買うということは理解していた。娘にも理想があって…「赤い車がいい、赤いの買って!」。無下にすることもできず、何となくごまかしていた。でも内心「赤は派手でイヤだなぁ」。購入手続きの際、私は娘に聞こえないように担当者にそっと耳打ちした…。彼は娘に伝えてくれた。「ごめんね、赤いの売り切れちゃった。白いのはあるよ」「じゃ、白いのでいいよ」。娘は納得してくれた。ヨカッタ! 赤が好きな人はいるだろうが自分には抵抗があった。

 話には続きがある。マネージャーがいなくて車を買いに来た旨をその担当者に話すと、話は急展開。彼は社会人野球でホンダに入社しピッチャーをやっていた。肩を壊し野球を断念せざるを得なくなった。現在の仕事に情熱を持てずにいるという。私は「マネージャーやってみますか?」。そう尋ねた。熟考した末、私のもとに来てくれることになった。その後、お兄さんがプロ野球選手だという事も判明。現在は引退しているが、侍ジャパンの監督を務めた小久保前監督だ。16年しっかり勤めてくれて、諸事情があり2年前に故郷和歌山に戻った。楽しい思い出だけが残っている。

(いっこく堂、腹話術師)