<南風>国際通り雑感


社会
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 「ゆかるひ」(那覇市久茂地)は国際通りから海側に20メートルほど入った裏通りのビルの3階にあります。さらに進むと通称「病院通り」と呼ばれる病院や薬局が立ち並ぶ通りに出ます。

 私も沖縄を離れていた時期以外は中学時代からずっとこの区域に住んでいます。ですから沖縄の中でも一番人通りの多い、国際通りの気配を常に感じながら暮らしているというわけです。小学校は東京で過ごしたので、中学時代からの記憶になりますが、国際通りの最初の印象は、地方都市のどこにでもありそうな地元庶民のための商店街という雰囲気でした。

 私が高校に通っていた頃、祖国復帰運動の高まりの中、先生方と共に、セーラー服で国際通りいっぱいに手を繋(つな)いでフランスデモをした記憶は鮮明に覚えています。

 その後、沖縄を離れ復帰後7年経(た)った頃に「夢空間」という絵本屋を始め、後半は石垣島白保の海を埋め立てる巨大空港を造らせないためのデモ申請をお手伝いしていました。白保のデモは三線部隊が先頭で、舞あり唄ありのそれは楽しいものでした。今思えば、私たちの文化を壊すなという強いメッセージだったのだなと思います。

 その後、再び沖縄を離れ、長野で25年暮らした後、また同じ場所に舞い戻りました。この四半世紀の間に首里城が出来、モノレールが走り、おもろまちという巨大都市が忽然(こつぜん)と現れ、そして、国際通りは地元庶民のための通りではなく、名前の通りの国際色豊かな観光客が闊歩(かっぽ)する通り、年がら年中観光客のためのイベントが行われるイベント通りとなりました。

 ゆかるひ界隈(かいわい)もマチヤグヮーが消え、久茂地小学校が消え、駐車場と居酒屋だらけとなりました。

 こんな有様で人情が消えずにいられるのだろうかと不安になるこの頃です。
(屋嘉道子、ブックカフェ&ホール「ゆかるひ」店主)